200403宝暦桜
(写真① 宝暦桜)
2003峯山の春
(写真② 峯山の春 2020/3)
写真①は宝暦桜と名付けた樹齢280年の巨木です。そして写真②は、汐見台の三叉路に咲く山桜を先日スケッチしたものです。右側の木は推定樹齢180年です。この場所は、昨年の大風で手前の桑の木が倒れた上、今年に入ってから周囲の真竹を精力的に伐採したので、山桜が晴れ舞台に出てきた印象を受けます。
峯山一帯には300本以上の山桜の巨木がありますが、どうしてなのでしょうか。
先頃、富田昇著「里山の性格とその変貌」を読みました。その中に同じ場所から見た年代別の写真が何枚もあります。
昭和初期の写真を見ると、山は殆どハゲ山状態で稜線がくっきりと見えます。昔の山はみどり豊かだったと思いがちですが実際は真逆です。しかし、これは言われてみれば当然のことなのです。
里山とは、地元の住民の暮らしを支える資源として重要な役目を果たしていました。当然、とことん利用されつくします。木々は勿論、下草も家畜のエサや緑肥として刈り取られていました。
そして、緩やかな斜面は全て畑として野菜や果樹が育てられていました。
そんな里山に山桜の巨樹がたくさんあるのです。山桜にどんなことを期待していたのか不思議です。
それは、花を見ること以外に考えられません。山桜を切り倒せば、そこそこ畑も増やせますし、薪炭用の木々も植えられます。なぜそうしないで山桜を残したのか?
恐らくは、江戸期以前からこの山には山道の両脇に山桜が植えられていたのでしょう。山道は、鎌倉時代には軍用道として機能していたことが分かっています。だから馬の通行を邪魔しないように配慮した位置に植えられています。
連綿として維持された桜の道は、いつしか後世に伝えるべき遺産として、村の人たちは意識したのではないでしょうか。つまりは、文化の伝承にほかなりません。
我々の活動も、鎌倉時代に芽吹いた文化を伝承する活動と思えば、やりがいが増すというものです。