里山エッセイ・鎌倉峯山の四季

峯山の四季折々の状況と活動内容をお知らせします。

タグ:鎌倉峯山

210803バンブーベッド
昔からの職人の習慣に三尺寝というのがあります。日陰が三尺移る間、時間にすれば30分ほどの短時間の昼寝のことです。大工や庭師などの職人が昼寝することを施主も親方も、三尺寝なら仕方あんめぇと認めていたようです。
峯山の集合日には弁当持参で集まり、夕方まで作業します。このクソ暑いのによくやるねえと言われますが、本人たちは別に苦労に思っていません。一応3時に上がることになっていますが、こんな時間に切り上げようとする人はだれもいません。それは山が涼しいからです。ことに休憩場所の涼しさは格別です。地形のせいでしょうか、風の通りがよく涼風が吹き抜けます。それと、街中と決定的に違うのは地面が舗装されていないことです。休憩時には、つい、うとうとしたくなります。
日の高い時間に山を下りると、途端に暑さを感じます。ことにバス通りにでると道路や塀の輻射熱に包まれる感じがして、体感的に山と3度くらいの差があります。あそこを通って帰るのかと思うと、つい山に居る時間が長くなります。
つい先日、休憩場所に竹製のベッドを設置しました。本来の目的は荷物置き場であり、作業スペースなのですが、作業中に気分が悪くなる人が出た場合に備えてベッドサイズにしておきました。
昼に弁当をつかった後に、このベッドに手足を伸ばして寝転ぶとまことに気分がよろしい。
三尺寝どころか、夕暮れまで寝入ってしまいそうな心地よさです。
別に山仕事に関係なくとも、冷えたビール持参で山に入り、ここでピクニックランチをとり、三尺寝を楽しむという手もあります。峯山会員の特権として認めましょう。
コロナ禍での消夏法として、これにまさる方法はないように思えます。特権を活用して下さい。

200428茶摘み
  (一番茶の茶摘み)

2005峯山茶
   (一番茶の試飲会)
峯山では、昔お茶の栽培をしていたらしく大きな茶の木があります。他にもあちこちに実生の小さな木があったので、これを日当たりの良い場所に移植してあります。
今年は暖冬なので、八十八夜の前に大勢でお茶摘みを行いました。(写真①)
生葉で300gmほどを摘み、電子レンジで1分ほど蒸してからホットプレートで加熱し、葉が熱くなったら手のひらで揉みます。こうして葉の水分を揉み出すのです。それをまた加熱しまた揉むことを繰り返します。小一時間ほど作業して葉が針のように細くなったら最後に保温状態で30分ほど乾燥します。部屋の中に茶の香りが充満し、期待感が高まります。
この茶を峯山で試飲しました。(写真②)飲んで驚きました。味も香りも極上です。しかも3煎までいけました。
実は、昨年の峯山茶は正直に言ってうまいとは言えませんでした。煎茶ではどうにもならず、ほうじ茶にしてどうにか飲める代物だったのです。
この変化はどこからきたのか? 一つは製茶法かもしれません。今年は京都のお茶屋さんのレシピを使いました。しかし一番の相違点は、茶葉そのものでしょう。昨年は、薮から出たばかりの元気のない木だったのですが、今年は、剪定を行い、日にあて、鶏糞を何度か与えるなどの手入れをしました。そのため劇的に味が変化したのでしょう。昨年は、二番茶をのむ気にもなれませんでしたが、今年は二番どころか三番茶(8月ころ)までいけそうです。
これも峯山の恵みと思い、山仕事に精を出すことにいたしましょう。

雑草の名前
雑草という名前の植物は無いとは、さるやんごとなきお方のご発言ですが、ここでは、草刈りの対象となる草々のことと思って下さい。
これから本格的な草刈りの季節となりますが、峯山の竹藪の跡地に生える草々は、畑に生える草とかなり違っています。
何も知らずに刈り取ってしまうのは申し訳がないので名前を調べることにしました。スマホのソフトにAI植物図鑑というのがあると知り早速ゲットしました。
知りたい植物をパチリと写真撮影すると瞬時に名前と詳しい内容が表示されます。いつも見かける草の名前が分かると、フムフムと納得して作業を進めることができます。
余りに簡単に名前が分かるので、少し心配になりテストの意味で、ネムの木の幹を撮影してみました。トックリランと出てきました。?と思い、角度を変えて撮ると今度は幸せの木と表示されます。木肌だけでは情報量が少なすぎると思いますが、どうやらこのソフトには断定癖があるようです。
「多分・・・」とか「・・・かも知れない」という奥ゆかしさとは無縁のようです。
どこかの国のリーダーの発言のようで、ややうさん臭さを感じます。とはいえ便利なことは便利です。「・・・かも」と思い撮影するとキッパリと断定してくれるので安心できます。
ただ困ることもあります。先日ごくごく小さな白い花を咲かせている草の群落がありました。知らべてみるとキュウリグサと出てきました。名前が分かると愛着もわきます。まあいいかと刈り残しましたが、草刈りには草刈りの目的があります。目的を逸脱する心配があるのです。

2018ソバの花
   (昔の畑跡に咲くソバの花)
峯山周辺は、昭和30年代のいわゆる燃料革命がおこる前は典型的な里山でした。
山にはクヌギ、コナラが植えられて燃料として利用され、平らなところは頂上付近まで畑として耕されていました。里山とは地元の人たちにとって生活に欠かせない資源であったわけです。
そのため常に人の手が入る二次的自然が形成されていました。けっして手付かずの原生林ではありません。しかし、里山の価値がなくなったと同時に人の手が入らなくなり山が荒れてきました。
里山については、山の緑に一切手をつけてはならない、あるいは自生している植物以外は一切持ち込んではいけないと主張する人が少なくありません。
そんなことをしたら山は荒れ放題に荒れます。つまり、私たちが活動をはじめる前の状態に戻り、いずれ照葉樹の生い茂る暗い森となるでしょう。いや、その前に全山竹藪化して、生物多様性と真逆な山となること必然です。
そんな意見の対立を避けるには、里山を現代社会に適した形に再定義する必要があります。
私は「里山とは住民にとって有用な山」であるとシンプルに定義しています。
子どもが安心して遊び回れるところ。高齢者も安心、安全に山歩きが出来るところ。四季おりおりの木々の花や草花をめでながら、海や山の景色を楽しみ、そして摘み草や山菜取りもできる場所。こんな里山であればコロナ騒ぎで家に閉じこもってウツになる心配もありません。
大勢の人々に喜ばれる場所であれば、そこを維持管理するボランティアにとってもやりがいのあることになります。
私たちも私たちの里山を持つことで生活を豊かにすることができます。そして私たちの役目は、それを実現することにあると思っています。県や市の意向は分かりませんが。

200403宝暦桜
(写真① 宝暦桜)
2003峯山の春
(写真② 峯山の春 2020/3)
写真①は宝暦桜と名付けた樹齢280年の巨木です。そして写真②は、汐見台の三叉路に咲く山桜を先日スケッチしたものです。右側の木は推定樹齢180年です。この場所は、昨年の大風で手前の桑の木が倒れた上、今年に入ってから周囲の真竹を精力的に伐採したので、山桜が晴れ舞台に出てきた印象を受けます。
峯山一帯には300本以上の山桜の巨木がありますが、どうしてなのでしょうか。
先頃、富田昇著「里山の性格とその変貌」を読みました。その中に同じ場所から見た年代別の写真が何枚もあります。
昭和初期の写真を見ると、山は殆どハゲ山状態で稜線がくっきりと見えます。昔の山はみどり豊かだったと思いがちですが実際は真逆です。しかし、これは言われてみれば当然のことなのです。
里山とは、地元の住民の暮らしを支える資源として重要な役目を果たしていました。当然、とことん利用されつくします。木々は勿論、下草も家畜のエサや緑肥として刈り取られていました。
そして、緩やかな斜面は全て畑として野菜や果樹が育てられていました。
そんな里山に山桜の巨樹がたくさんあるのです。山桜にどんなことを期待していたのか不思議です。
それは、花を見ること以外に考えられません。山桜を切り倒せば、そこそこ畑も増やせますし、薪炭用の木々も植えられます。なぜそうしないで山桜を残したのか?
恐らくは、江戸期以前からこの山には山道の両脇に山桜が植えられていたのでしょう。山道は、鎌倉時代には軍用道として機能していたことが分かっています。だから馬の通行を邪魔しないように配慮した位置に植えられています。
連綿として維持された桜の道は、いつしか後世に伝えるべき遺産として、村の人たちは意識したのではないでしょうか。つまりは、文化の伝承にほかなりません。
我々の活動も、鎌倉時代に芽吹いた文化を伝承する活動と思えば、やりがいが増すというものです。

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