里山エッセイ・鎌倉峯山の四季

峯山の四季折々の状況と活動内容をお知らせします。

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210430エゴノキ実
    (エゴノキの青い実)
峯山の西斜面に2mほどのエゴノキがあります。雑木林の中のエゴノキは、景色として悪くありません。それで、添木をしたり株元の草取りなどの手当てをしています。今年の4月に花が咲きそうな気配があったので、ようやく咲いてくれるかと楽しみにしていました。以前遊行寺近くの俣野別邸公園を訪れたおり、雑木林の中にエゴノキの白い花を見ました。けっして華やかさのある木ではありませんが、下向きにひっそりと咲く花は可憐そのもです。大きな木の間の薄暗い空間で独特の存在感を示しています。じつは、我が家にもエゴノキがありました。背丈が4m近い成木でしたが、ちょっと陰気くさい感じの木なので、ナツツバキに植え替えしました。おかげで庭の雰囲気が一気に明るくなりましたが、一方でエゴノキには悪いことをしたな、という後ろめたさも感じていました。そんないきさつもあったので、ここのエゴノキの成長ぶりをを気にしていたのです。
頃合いを見計らって行ってみたら、写真のようにすでに青い実になっていました。お前なんかに見せるものかと言われたような気がしました。今年の桜の開花は異常に早かったですが、散るのも早かったです。エゴノキも同じだったのでしょう。残念なことをしました。
気になる木といえば、早咲きの桜もそうです。尾根道のジャマになるところにあったので、こかげ道と名付けた作業路沿いに昨年移植しました。背丈は2mほどあるので花を咲かせてもよいはずですが、一輪か二輪見かけた程度で春が過ぎました。充分根付いていなかったせいかもしれません。
エゴノキも桜も来年の春を待たねばなりません。何となく、エゴノキの花が見られたら、私の峯山での仕事も一区切りと思っていたので、はぐらかされた気がします。或いは、もう少し仕事をしろと峯山が励ましているのかもしれません。どこの山の神でも厳しいものですね。

210422イヌビワ
(上を詰めたらうまい具合に下枝が出てきた)
峯山付近には、ニワトコ、アカメガシワ同様にイヌビワが沢山自生しています。藪を切り拓いている頃は邪魔だとばかり、せっせと伐採していました。それが、ある時期から逆に保護対象となり、その上幼木を移植するようになりました。
それは、上皇陛下が退位表明されてまもなく、上皇后へのインタビュー記事に「陛下の大好きなイヌビワの木を植えて差し上げたい」とあったのがきっかけです。興味をもって調べてみると、イヌビワはかなり特異な性質を持つ木であることが分かり、伐採方針を止めました。
名前にビワとありますが、その実の味はイチジクに似ています。その実を食べてみると、思わずペッと吐き出しました。ネット上には、たいてい「食べられなくはないが旨くない」と出ています。また、タヌキが好んで食べるとも出ています。
しかし、これは過った情報であることが後で分かりました。黒く熟した実はかなり甘く、舌の上にブツブツ感が残りますが不味くはありません。試みにジャムにして皆に食べてもらったところ好評でした。詳しく調べるとイヌビワはオス・メス異株で、美味しいのはメス株の実です。オス株のものは、タヌキも吐き出しそうな代物です。私が最初に食べたのもオス株のものだったのでしょう。
イヌビワの若芽も旨いというので、先日、お浸しと天ぷらで食べましたが、味が濃くてかなりいけます。イヌビワは秋になると黄葉します。カエデなどよりも存在感のある発色で、秋の雑木林を彩ってくれます。今やイヌビワの評価は急上昇中です。最近峯山にタヌキが出ますが、タヌキに食べられ前に人間が片付けてしまいそうな勢いです。竹林を皆伐した跡地にイヌビワが何本もあり、ここにクワとイヌビワの幼木を沢山移植しています。子供たちが採取しやすいように剪定しているので数年後には果樹園として機能することでしょう。

210410エゴノキ
(雑木林に移植した4年目のエゴノキ 、今年は花が咲きそう)

雑木林を「ざつぼくりん」と読むと林業用語となり、有用でない林、つまり桧や杉ではない林の意味となります。
「ぞうきばやし」と読むと里山のイメージに近くなります。里山とは、地域住民が生活に必要な資源を得るために手入れを怠らなかった人工林のことですから、ほぼ同義語といえます。
しかし、石油による燃料革命で里山の価値は一気に低下して、その結果山の手入れをする人がいなくなり荒れ果てました。峯山も例外ではありません。燃料用に植えられたクヌギ、コナラは巨木化し、アズマネザサ(篠竹)や竹の侵食で人の入れない暗い山となっていました。
手の入らない里山はあり得ませんが、どこまで、どのように手を入れるかは関わる人によってまちまちです。里山の定義をきちんとしておかないと百人百様の状況になります。
峯山近辺は殆ど市有地、県有地です。ということは市民のもの、県民のものということです。我々が里山にどの様な価値を求めるのかによって手入れの方法が変わってきます。
子育て、子供の遊び場として利用したい人、手軽に山歩きをしたい人、山桜を愛する人、山野草に興味をもつ人、樹木や鳥、生き物に触れたい人、様々な要望があるはずです。
里山の価値がどこにあるか考えるとまとまりがつきません。しかし、雑木林として捉えれば整理がつき易くなります。きれいな花の咲く木、実のなる木、紅葉や黄葉を楽しむ木など様々な木々の間をゆっくり散策出来ればまさしく癒しの空間となります。暑い時には木陰を拾い歩いてフィトンチッドを満喫し、冬場には落葉した木々の間から海や山を眺めて開放感を味わう。そして運が良ければ山の幸も得られる。そんな雑木林が身近にあれば、ここに住んでいてよかったと実感することでしょう。こうして里山の価値が高まればボランティア活動も盛んになり、手入れが行き届きます。つまり、大勢の人が山に入り、山を利用することで好循環が生まれ、めでたし、めでたしとなる訳です。

210326新樹名板

写真は、新・旧二つの樹名板です。右側の割り竹製は、ホームページへの投稿者から教わったものです。情報量に差がありますが、樹名を知らせるにはこれで充分かもしれません。
この投稿者は、テープや紐などのプラゴミが散乱していることも指摘していました。改めて眺めてみると、確かにそうです。山仕事の帰りに空き缶、空き瓶、プラゴミの収集は毎度のことなのに、自分たちが使ったプラゴミにはあまり気にしていないことに気付きました。
畑では、かなりこまめにプラゴミを片付けています。どうしてこの差が出るのか考えてみました。
畑では、よく焚き火をして焼き芋などを作ります。この時に剪定枝や刈り取った草にプラゴミが混じっていると悪臭がするので、それを避けるために気をつけていたのです。つまり焼き芋をうまく仕上げるという具体的目的があったのです。
ところが、峯山では一切焚き火は行えません。このため、伐採した竹や枯れ木などは県や国の指導もあって、単に積み上げて置くだけです。つまり、物理的に片付けたらそれで作業完了となるわけです。道端や藪の中に散乱する空き缶、空き瓶、プラゴミはせっせと回収して持ち帰りますが、積み上げられている処理済みの中身までには目が向かないという状況にあったわけです。直接的に被害を受けることに対しては何らかの対応をする。しかし、そうではないものには、まあ、いいかと手を抜く。情けない話しです。積まれた竹や木は、いつの日にか土に返る。しかし、中のプラゴミはそのまま残り、いずれマイクロプラスチック化して土壌汚染を起し、やがて川、海を汚染する。そこまで考えるべきでした。元々、人工的に作られた物質は、最終処分のことまで考えて生産し消費するべきですが、現実はそうなっていません。そういう目で山の中を見ると、産廃物を含めて現代社会の歪が如実に現れています。取り敢えず峯山周辺は、侵入竹類は抑制され、山桜の保護も進みました。今後は、これらを維持する活動に重点をおく必要がありそうです。

210225カキドオシ

峯山の春で一番人気の野草といえばフキノトウと菜の花でしょうか。
いろいろな食べ方がありますが、春の野草には特有の苦みがあり、この苦みこそ春の醍醐味です。
先日、フキの群生地に行ったらカキドオシが一緒に咲いていました。フキもカキドオシも真竹を皆伐した跡地に、竹の子を抑制するために植えつけたものですが、今ではかなりの範囲に広がっていて充分にその役目を果たしています。
カキドオシは、以前果樹園をやっていた時に、草生栽培のためのグランドカバーとして使っていたことがあります。いわゆる雑草の類いのなかで一番好きな草といってもいいでしょうか。はびこると厄介な草の抑制をしてくれる上、草刈りをするといい匂いがしてうっとりとするくらいです。しそ科特有の芳香です。西洋では、エールの香りづけに使うそうで薬功もなかなかのものです。つまりハーブです。お茶としても、乾燥葉だけでなくフレッシュティとしても使えます。山仕事の合間に淹れてみましょうか。糖尿病、胆機能障害に効くそうです。
菜の花は、この時期に花摘みをすると脇芽が出てきて花の数が増えますからお勧めですが、やり方を間違えると逆効果です。脇芽がでるように摘んで貰いたいのですが、全ての人に理解してもらうわけにいかないのが悩みです。フキノトウも同様です。見つけ次第全部採ってしまう人がいます。特に子どもが問題です。最初は分からずきょろきょろしていますが、一旦目が馴れると次々と見つかります。そうなると採取本能全開モードになり採りつくすまで止めません。楽しみは皆でシェアーする心得を大人が伝えないといけないのですが、大人でも不心得ものがいるので難しいです。
冒頭に、春の野草の醍醐味は苦みだと書きましたが、大好きなふき味噌を作ろうかと思って採りにいったら全然見当たらない、そんな苦い気分になるのは御免蒙りたいものです。

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