
写真は、新・旧二つの樹名板です。右側の割り竹製は、ホームページへの投稿者から教わったものです。情報量に差がありますが、樹名を知らせるにはこれで充分かもしれません。
この投稿者は、テープや紐などのプラゴミが散乱していることも指摘していました。改めて眺めてみると、確かにそうです。山仕事の帰りに空き缶、空き瓶、プラゴミの収集は毎度のことなのに、自分たちが使ったプラゴミにはあまり気にしていないことに気付きました。
畑では、かなりこまめにプラゴミを片付けています。どうしてこの差が出るのか考えてみました。
畑では、よく焚き火をして焼き芋などを作ります。この時に剪定枝や刈り取った草にプラゴミが混じっていると悪臭がするので、それを避けるために気をつけていたのです。つまり焼き芋をうまく仕上げるという具体的目的があったのです。
ところが、峯山では一切焚き火は行えません。このため、伐採した竹や枯れ木などは県や国の指導もあって、単に積み上げて置くだけです。つまり、物理的に片付けたらそれで作業完了となるわけです。道端や藪の中に散乱する空き缶、空き瓶、プラゴミはせっせと回収して持ち帰りますが、積み上げられている処理済みの中身までには目が向かないという状況にあったわけです。直接的に被害を受けることに対しては何らかの対応をする。しかし、そうではないものには、まあ、いいかと手を抜く。情けない話しです。積まれた竹や木は、いつの日にか土に返る。しかし、中のプラゴミはそのまま残り、いずれマイクロプラスチック化して土壌汚染を起し、やがて川、海を汚染する。そこまで考えるべきでした。元々、人工的に作られた物質は、最終処分のことまで考えて生産し消費するべきですが、現実はそうなっていません。そういう目で山の中を見ると、産廃物を含めて現代社会の歪が如実に現れています。取り敢えず峯山周辺は、侵入竹類は抑制され、山桜の保護も進みました。今後は、これらを維持する活動に重点をおく必要がありそうです。