里山エッセイ・鎌倉峯山の四季

峯山の四季折々の状況と活動内容をお知らせします。

2020年03月

1904orotisakura
今を去ること210年まえ、江戸は寛政から文化年間に入り、かなり混乱していた時代です。浅間山の大噴火に伴う大飢饉の後遺症がかなり残っている上、異国からの開国要求が多発し、騒然としていました。秋も深まる11月の半ば、相模の国鎌倉郡深沢村の山中に一本の山桜が植えつけられました。
そこは峯山の山頂にあたる処です。そこには、二抱え以上もある山桜の巨木があったのですが、昨年のまれにみる大風で根返し状態に倒伏してしまったのです。
この桜は「これは頼朝公ゆかりの桜に違いあんめえ」と、村びとがたいそう大事にしていたので大いに嘆き悲しみ、代わりの木を植えることにしたのです。大庭在から譲り受けた幼樹は、淡い紅色が入った上品な山桜でした。現代のわれわれがオロチ桜と命名した山桜の誕生です。
もともとこの辺りは別名桜山ともいわれた程桜の多いところで、尾根沿いにも山桜の巨樹が連なっています。花見の頃になると村びとたちが三々五々訪れて、持参した大徳利から花見酒を楽しんでいました。娯楽の乏しい時代ですから、酒に酔えるのは盆暮れ以外は冠婚葬祭か神社の祭礼のときくらいなものですが、こういった行事はそれなりの儀式があり、やや窮屈なところがあります。
それに比べると、お花見はだれに気兼ねもなく勝手に振る舞える上、季節的に本格的な農作業の始まる前ですから気分も楽です。年で一番の楽しみといえます。村びとが桜を大切にしてきたのもむべなるかなです。
・・と、こんな事を書いたのは、のうせいさんの「樹齢の考察」(HP参照)を参考にしたからです。今年は、暖冬傾向から桜の開花を心配していましたが、例年と同じころの開花となりました。暖冬で開花が早くなるとは限らず、かえって遅くなることもあるそうです。これは、開花には一定の寒さが必要なためで、自然は一筋縄にはいきません。複雑怪奇です。
望ましくは、平穏無事に四季の移ろいが順調であってほしいものです。そして新型コロナにも遠慮してもらいたいものです。世の中無茶苦茶になりつつあります。

2002篠竹
(写真① 5mを越す篠竹)

2002竹林
(写真② 整備中の竹林)
私たちの山仕事は、弁当持ちで山に入り、気分次第で暗くなる頃まで作業を行います。
そのため休憩場所が不可欠です。殿入りルートを上った先の左側に比較的平坦な場所があるので、生い茂る篠竹を刈り取り休憩場所にして峯山広場と名付けました。
ベンチ以外は何もない草地なので子供たちの恰好の遊び場ともなっています。
周囲の篠竹は、あえて残してあります。(写真①)これは、かってはこのような状態で全山覆われていたことを示すためです。いわば負の遺産みたいなものです。
この薮の中に、人がやっと通れる幅に路をつけておいたら、子供たちがどんどん入り込みます。当初の目的は、nature's callがあった時の用足し場のつもりでしたが、迷路遊び場に用途変更しました。隣接の竹林は整備を進めて、最近では美林の様相を示してきています。(写真②)もう少し手を入れて、竹林の中を安心して歩けるようにするつもりです。
竹は里山を破壊する元凶のように言われています。事実そうなのですが、何がなんでも皆伐して全滅させるのも芸の無い話です。竹なしでは生活できない時代が、ほんの少し前まであったわけですから、あるべき姿に整備して、人々が竹に接することが大事なことだと思っています。
竹の再生産能力は大したものです。有効利用すれば、これほど頼母しい資源はありません。
食料として、建材として、また燃料として限りない用途が考えられますが、なかなか軌道に乗っていないのは残念なことです。
しかし、プラゴミや二酸化炭素問題など世界規模の悪影響が出ている現代こそ、資源としての竹にもっと関心を持つべきではないでしょうか。
私たちも県有地の保全活動の一環として竹林整備を行っていますが、切り倒した竹をただ積み上げて、時間をかけて土に戻すだけの愚かしいと思えるような処置をしています。
せめてもの罪滅ぼしに、小さな区画ですが美林竹として残し、竹に敬意を表したいと考えています。

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