
今を去ること210年まえ、江戸は寛政から文化年間に入り、かなり混乱していた時代です。浅間山の大噴火に伴う大飢饉の後遺症がかなり残っている上、異国からの開国要求が多発し、騒然としていました。秋も深まる11月の半ば、相模の国鎌倉郡深沢村の山中に一本の山桜が植えつけられました。
そこは峯山の山頂にあたる処です。そこには、二抱え以上もある山桜の巨木があったのですが、昨年のまれにみる大風で根返し状態に倒伏してしまったのです。
この桜は「これは頼朝公ゆかりの桜に違いあんめえ」と、村びとがたいそう大事にしていたので大いに嘆き悲しみ、代わりの木を植えることにしたのです。大庭在から譲り受けた幼樹は、淡い紅色が入った上品な山桜でした。現代のわれわれがオロチ桜と命名した山桜の誕生です。
もともとこの辺りは別名桜山ともいわれた程桜の多いところで、尾根沿いにも山桜の巨樹が連なっています。花見の頃になると村びとたちが三々五々訪れて、持参した大徳利から花見酒を楽しんでいました。娯楽の乏しい時代ですから、酒に酔えるのは盆暮れ以外は冠婚葬祭か神社の祭礼のときくらいなものですが、こういった行事はそれなりの儀式があり、やや窮屈なところがあります。
それに比べると、お花見はだれに気兼ねもなく勝手に振る舞える上、季節的に本格的な農作業の始まる前ですから気分も楽です。年で一番の楽しみといえます。村びとが桜を大切にしてきたのもむべなるかなです。
・・と、こんな事を書いたのは、のうせいさんの「樹齢の考察」(HP参照)を参考にしたからです。今年は、暖冬傾向から桜の開花を心配していましたが、例年と同じころの開花となりました。暖冬で開花が早くなるとは限らず、かえって遅くなることもあるそうです。これは、開花には一定の寒さが必要なためで、自然は一筋縄にはいきません。複雑怪奇です。
望ましくは、平穏無事に四季の移ろいが順調であってほしいものです。そして新型コロナにも遠慮してもらいたいものです。世の中無茶苦茶になりつつあります。