里山エッセイ・鎌倉峯山の四季

峯山の四季折々の状況と活動内容をお知らせします。

2005懐中時計

峯山に流れる時は、下界とかなり違っています。ゆったりと流れているようで、気が付けば思わぬ時刻になっている、そんな感じです。
山仕事のとき、昼食や終了時に時を知らせる必要がありますが、この役目は私が担っています。
そのためにいつも腕時計をつけているのですが、作業が作業なのでよく壊します。先日も2台目の時計バンドがダメになりました。それで思い出したのが懐中時計です。ずいぶん前にスイス土産として貰ったのですが、こんな不便なもの使えるかと放っておきました。しかし、今回思い直して山に持っていってみると、これが結構いけます。
そろそろ時刻かなと思い、鎖を手繰って懐中時計を引き出し、ボッチを押して蓋を開け、のぞき込みます。この一連の動作は、山に流れる時と奇妙に合います。それからおもむろに呼子を吹きます。
以前は、時間がくると各人の作業現場に出向き、大声で知らせていたのですが、ひろーい作業域中にばらばらに作業をしているので、伝えるのに難儀していました。そこで呼子を使うことにしました。
ピー、ピッ、ピーが時間だよの合図です。ここまでは順調なのですが、このあとがいけません。
みんな目の前の作業に熱中しているのでなかなか切り上げません。そこで再び呼子が鳴ります。
まるで時代劇の捕物帖の世界です。
下界との違いは、時の流れのほかにもあります。これから暑くなる季節ですが、山で暑さを感じることは滅多にありません。風の流れのせいか、実際の気温差なのか分かりませんが、仕事を終えて山を下り、バス通りにでると申し合わせたようにこう呟きます。「下界は暑いね」
多分、みんな山仕事が大好きなのです。フィトンチッドが溢れる山中で、好きな作業、しかも皆に喜ばれる作業をしている幸せ感が暑さを忘れさせるのかも知れません。これもまた峯山タイムです。

200428茶摘み
  (一番茶の茶摘み)

2005峯山茶
   (一番茶の試飲会)
峯山では、昔お茶の栽培をしていたらしく大きな茶の木があります。他にもあちこちに実生の小さな木があったので、これを日当たりの良い場所に移植してあります。
今年は暖冬なので、八十八夜の前に大勢でお茶摘みを行いました。(写真①)
生葉で300gmほどを摘み、電子レンジで1分ほど蒸してからホットプレートで加熱し、葉が熱くなったら手のひらで揉みます。こうして葉の水分を揉み出すのです。それをまた加熱しまた揉むことを繰り返します。小一時間ほど作業して葉が針のように細くなったら最後に保温状態で30分ほど乾燥します。部屋の中に茶の香りが充満し、期待感が高まります。
この茶を峯山で試飲しました。(写真②)飲んで驚きました。味も香りも極上です。しかも3煎までいけました。
実は、昨年の峯山茶は正直に言ってうまいとは言えませんでした。煎茶ではどうにもならず、ほうじ茶にしてどうにか飲める代物だったのです。
この変化はどこからきたのか? 一つは製茶法かもしれません。今年は京都のお茶屋さんのレシピを使いました。しかし一番の相違点は、茶葉そのものでしょう。昨年は、薮から出たばかりの元気のない木だったのですが、今年は、剪定を行い、日にあて、鶏糞を何度か与えるなどの手入れをしました。そのため劇的に味が変化したのでしょう。昨年は、二番茶をのむ気にもなれませんでしたが、今年は二番どころか三番茶(8月ころ)までいけそうです。
これも峯山の恵みと思い、山仕事に精を出すことにいたしましょう。

雑草の名前
雑草という名前の植物は無いとは、さるやんごとなきお方のご発言ですが、ここでは、草刈りの対象となる草々のことと思って下さい。
これから本格的な草刈りの季節となりますが、峯山の竹藪の跡地に生える草々は、畑に生える草とかなり違っています。
何も知らずに刈り取ってしまうのは申し訳がないので名前を調べることにしました。スマホのソフトにAI植物図鑑というのがあると知り早速ゲットしました。
知りたい植物をパチリと写真撮影すると瞬時に名前と詳しい内容が表示されます。いつも見かける草の名前が分かると、フムフムと納得して作業を進めることができます。
余りに簡単に名前が分かるので、少し心配になりテストの意味で、ネムの木の幹を撮影してみました。トックリランと出てきました。?と思い、角度を変えて撮ると今度は幸せの木と表示されます。木肌だけでは情報量が少なすぎると思いますが、どうやらこのソフトには断定癖があるようです。
「多分・・・」とか「・・・かも知れない」という奥ゆかしさとは無縁のようです。
どこかの国のリーダーの発言のようで、ややうさん臭さを感じます。とはいえ便利なことは便利です。「・・・かも」と思い撮影するとキッパリと断定してくれるので安心できます。
ただ困ることもあります。先日ごくごく小さな白い花を咲かせている草の群落がありました。知らべてみるとキュウリグサと出てきました。名前が分かると愛着もわきます。まあいいかと刈り残しましたが、草刈りには草刈りの目的があります。目的を逸脱する心配があるのです。

↑このページのトップヘ